普賢寺・室積台場跡 長州藩幕末史跡めぐり 光市編っちゃ!
- 2018/03/08
- 10:01
今年は明治維新150年、 長州藩幕末史跡自転車めぐり っちゃ!
今回は、光市編

立石孫一郎の碑 第二奇兵隊幹部の立石孫一郎は、倒幕を急ぐあまり仲間を引き連れて隊を脱走し、倉敷代官所などを襲撃した。その後、幕軍に追われることとなり、慶応2年(1866年)藩命に背いたとされ千歳橋の橋上で暗殺された。


長州藩撫育方室積会所跡 長州藩は江戸中期に、藩の財政改革の一つとして海上輸送による商品流通に係わり、利益を上げるため瀬戸内海側の室積・中関(防府)・伊崎(下関)の三つの商業港を整備して会所(役所)を置き、北前船などと商取引を行わせた。


室積台場跡 幕末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築いた、このことから通称「女台場」といわれている、萩の菊ヶ浜土塁と同じ様に女性は着飾ってたん作業したんだろうか?

室積台場跡の象鼻ヶ岬の景色がええ感じっちゃ! ( ´∀`)bグッ! 陰にあるベンチで若者がちちくりあってたのは秘密です ヽ(´Д`;)ノアゥ...

普賢寺 近隣者が普賢寺と専光寺を本陣として南奇兵隊(後の第二奇兵隊)を結成、普賢寺の中には隊員が撃った銃弾の跡が残っている。


普賢寺仁王門の金剛力士像がかっちょええ Σ(゚∀゚ノ)ノキャー 左側が口を閉じた吽形の那羅延金剛、右側が口を開いた阿形の密迩金剛


専光寺 近隣者が普賢寺と専光寺を本陣として南奇兵隊(後の第二奇兵隊)を結成


長州藩中熊毛宰判勘場跡 宝暦13年(1763年)に藩の財政改革の一環として、室積の港を商業港として整備し、その発展を助けることにした。中熊毛宰判を新設しこの地に以前からあった室積浦海上御勤方の御番所にその勘場を置いた、同一屋敷内に勘場と番所と御蔵があった。

室積港の漁業協同組合入口でひなたぼっこするネコちゃん Σ(゚∀゚ノ)ノキャー


高札場 江戸時代、市場町・門前町・港町など、人の出入りの激しい要衝の地に、幕府または藩府の触書・掟書きなどが掲示された場所

港町室積の街並みは風情があるねぇ~ 海商通りって言うらしい ( ´∀`)bグッ!

燈籠堂 良い雰囲気やなぁ~

潮待ちの港として栄えた歴史ある室積の街並み お気に入りの場所になってしまった (゚д゚)(。_。)ウン
長州藩幕末史跡自転車めぐり 光市編
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